龍馬が歩いた江戸の町視察研修 01 秋晴れに恵まれた10月18日(日曜日)「龍馬が歩いた江戸の町
視察研修」が開催されました。小田原駅8:50集合し一路東京へ!
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 02 品川にある、京急線立会川駅にて今回ガイドをお願いした東京龍馬会 副会長兼代表幹事の修業秀樹氏と合流。小田原藩龍馬会の名誉会員で歌手の「白井貴子」さんともこちらで待ち合わせしました。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 03 最初に訪ねたのは京急立会川駅前の品川区立北浜川児童遊園に設置された坂本龍馬像。このエリアは土佐藩士下屋敷があった所です。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 04 旧東海道の立会川に架かる「涙橋」と呼ばれる「浜川橋」を見学。鈴ヶ森刑場で処刑される罪人はこの橋で親族らが密かにお見送りに来て別れたということから、「涙橋」と呼ばれるようになりました。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 05 浜川砲台跡です。現在はご覧の通りビルに囲まれていますが、目の前の水路の先には黒船が停泊した場所です。
龍馬もこの砲台からみる黒船にの偉容に衝撃を受けたことでしょう。現在修復中の砲台は、11月1日に「浜川砲台復元完成披露記念式典」が行われます。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 06 バスに少し乗り、第15代土佐国高知藩主「山内豊重(容堂)墓」へ。進歩的で協力な言動は幕閣に恐れを抱かれたそうです。維新後の新政府の内閣事務総長でした。明治5年、45歳の若さで亡くなりました。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 07 続いて浜松町駅前へ移動。龍馬とは関係ないのですが、小田原に関係ある場所ということで旧芝離宮恩賜庭園を訪ねました。延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝が4代将軍家綱から拝領しました。忠朝は屋敷を建てるにあたり、藩地の小田原から庭師を呼び、庭園を作ったと言われています。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 08 小田原から運んだ根府川石の群落もありました。なんだかうれしいです。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 09 赤坂にて昼食 写真は柴崎副会長の挨拶です。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 10 昼食の後は少し歩いて勝海舟邸跡へ
勝海舟は、安政6年の6月にここに住み始め、明治元年まで住んでいました。文久2年(1862)に坂本龍馬が海舟を暗殺しようと訪ねてきたのもここにあった屋敷でした。逆に世界情勢を説いて決意を変えさせ門下生に育てた重要な場所です。昔も今も赤坂は政治的には重要な場所なんですね。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 11 本氷川坂を上がって、赤坂氷川神社から、幕末より赤坂在住の勝海舟により称えられた。『四合(しあわせ)稲荷』へ
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 12 氷川神社から徒歩5分程にある勝安房邸跡へ
幕臣として活躍した勝海舟が明治5年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷の跡地です。
その後は旧氷川小学校(平成5年に廃校)となり、現在は特別養護老人ホーム「サン・サン赤坂」となっています。旧氷川小学校の敷地には、「勝安芳邸跡」の石碑がありました。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 13 バスに乗り築地界隈へ。まずは佐久間象山塾跡を訪ねました。銀座6丁目でんぱつビル横のこの場所には佐久間象山の私塾がありました。その門下には、勝海舟・吉田松陰・橋本左内・河井継之助など、多くの有能な人材が集まり、土佐藩士坂本龍馬の名も門人帳に確認することができます。龍馬は、嘉永六年に江戸へ最初の剣術修行に出て、その最中である十二月一日に象山に入門しました。いまではこの案内板があるのみです。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 14 土佐藩築地邸跡です。薩長同盟を成立させ、大政奉還を提言した坂本龍馬は、安政三年(1856)から同五年ころ、剣術修行のため江戸に来ていました。龍馬はこの地の土佐藩築地邸に寄宿しながら、桶町(現八重洲二丁目・京橋二丁目の一部)にあったとされる千葉定吉道場に通っていたそうです。ここもこの案内板があるのみです。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 15 千葉定吉道場は剣術修行のために江戸へ出てきた土佐藩士坂本龍馬(1835~1867)が、ここにあった定吉の門に入ったとされています。
この時定吉は、鳥取藩池田家の江戸屋敷に仕官していたため、龍馬は定吉の息子千葉重太郎のもとで修行に励んだとも考えられています。
また、安政三年(1856)に江戸へ再出府した際にも、定吉の道場で剣術修行を行い、安政五年正月には定吉から「北辰一刀流長刀兵法」の目録を伝授されました。
ここもこの案内板があるのみです。
龍馬が歩いた江戸の町視察研修 16 懇親会では東京龍馬会から、会長の佐藤禔員 様、副会長の明利裕次
様、北代玲子 様、幹事の伊藤清美 様、副代表幹事の岡部律子 様にも参加していただき大いに盛り上がりました。


小田原藩龍馬会、初の東京研修でした。皆さんのご協力で何とか無事に修了しました。東京龍馬会の方々、案内役をしていただいた修業秀樹さん本当に感謝しています。
龍馬さんの東京の足跡をたどる今回の旅のほとんどが現在は大型ビルが建ち並ぶ場所でした。
たとえ一枚の紹介看板だけであっても明治維新当時へと想いを巡らすとワクワクしてきました。

参加していただいた方々に改めて感謝して取り急ぎ報告とさせていただきます。

小田原藩龍馬会幹事長  鈴木伸幸